nijiken

ロックバンドRainbowを研究するブログとしてスタートしましたが、幅広い話題を取り上げたいと考え、ブログタイトルを変更しました。

虹に関わった人達 ドラマー編その3

チャック・バーギ(1952年8月15日ー)

アメリカ ニュージャージー生まれ

【加入前のキャリア】いくつかのアルバムセッションに参加した後1978年にジャズフュージョンバンドBrand Xに参加。当時の音源を聴くと、テクニカルの面ですでに完成していることがわかる。その後結成されたハードロックバンド、バランスに加入。1981年に「Breaking Away」でアメリカのシングルチャートでトップ25のヒットを記録した直後のアルバムから参加している。


In For The Count - BALANCE

その後、アル・ディ・メオラ、ホール・アンド・オーツらとセッションおよびツアーを行っている。ビッグアーティストのツアーで採用されている事は実力のある証拠。

 

ボブ・ロンディネリ脱退後、ロンディネリのプレイをそっくりにコピーしたドラマーが一時加入していたが、あまりの下手さにジョー・リン・ターナーがキレ、チャック・バーギを推薦したと言われている。その時のドラマーの名前は明らかにされていないが、リッチー・ブラックモアはそのドラマーをかなり気に入っていたとのことである。

 

のちの再結成レインボーにおいて、正ドラマーのジョン・オライリーがサッカー中の怪我で帯同できなかったため、チャック・バーギが再び呼び戻された。

【脱退理由】

一度目はディープ・パープル再結成の余波を受けてのレインボー解散によって止むを得ず。

再結成レインボーにおいて1997年のアメリカツアーの直前に突然脱退を表明。彼が最初の契約時に聞いていたほど、ツアーが忙しくならなかったことが原因。チャックのドタキャンにマネージャーのキャロルがパニックになったとされているが、申し訳なく思ったチャックは後釜にジョン・ミッチェリを推薦したといわれている。

【ミュージシャンとしての実力】

レインボーにおけるプレイスタイルは非常にタイトで、ロック、フュージョン、ジャズ、ポップス全てに対応できる懐の深さもある。唯一無比のブリティッシュ・ハードロックとポップのハイブリッド最終形ともいえるアルバム「Bent Out Of Shape」は彼のドラミングあってのものだと言える。(「Street Of Dreams」のドラムがチャックじゃなかったらあれだけの名曲になっただろうか?)反面、パワーと面白みに欠けるとの評価もされがちだったが、再結成時のプレイはかなりパワフルでハードロックよりなサウンドと変化していた。

【レインボー脱退後】

レインボー解散後、1985年ジョー・リン・ターナーのソロプロジェクトに参加した後、1987年にミートローフへ、1991年からはブルー・オイスター・カルトに加入。(再結成レインボーのツアーに参加した際は一時的に脱退)加入と脱退を繰り返しながら1997 年まで活動を継続している。(ちなみにこの時期のブルー・オイスター・カルトのドラマーはチャック・バーギ、ジョン・オライリー、ジョン・ミッチェリが交代しながら務めており、1997年からはボブ・ロンディネリが加入するというモロにレインボー人事となっている。もしかして、これらのドラマー人脈は互助会みたいになっていたのでは?と推測される)

その他、エンリケ・イグレシアスやマイケル・ボルトンボンジョビダイアナ・ロスら多彩な人達とレコーディングおよびツアーを行っている。

2002年から2006年まではビリー・ジョエル のブロードウェイ・ミュージカルMovin 'Outのステージバンドのメンバーに抜擢。

2005年11月からはビリー・ジョエルの正ドラマーとして2006年、2008年には日本公演にも帯同している。2017年にはベーシストのグレッグ・スミスらとともにトーキョー・モーター・フィストに参加している。


Tokyo Motor Fist - "Love Me Insane" (Official Audio)