nijiken

ロックバンドRainbowを研究するブログとしてスタートしましたが、幅広い話題を取り上げたいと考え、ブログタイトルを変更しました。

虹に関わった人達 ドラマー編その4

ジョン・オライリー(生年不明8月ー)

【加入前のキャリア】70年代後半からジャズドラマーとして活動。その後バンドでロ​​ック界に転身した。1980年にはジョン・レノン・アンド・オノ・ヨーコのアルバム「Double Fantasy」のためのセッションでオノ・ヨーコとデモを録音した。後に彼はリッチー・ヘヴンス、ハーマンズ・ハーミッツらと、1990年にはCPR(ランディ・コーベン・アル・ピトレリ・ジョン・オライリー)でアルバムを発表している。

1993年にジョー・リン・ターナーとレコーディングした際にレインボーが再結成されること、ベースとドラマーを探していることを知り、自らオーディションに応募した。オーディションの手順はいつも通りだったようで、最初の10分間はリッチーが鳴らす指のテンポに合わせてプレイし、それからシャッフルをプレイするように要求された模様。ジョン・オライリーはシカゴ・ツーハンド・シャッフル、テキサス・スイング、ロック・シャッフルをこなせたそうで、懐の深さにリッチーは驚いていたらしい。

ジョン・オライリーがアルバム「Stranger in Us All」のレコーディング中の思い出として語っているのは、「アルバムのコーナーストーン」というものである。リッチー・ブラックモアはアルバムを支える4つの重要な曲が必要と考えており、その1つが「Black Masquerade」だったという。

【ミュージシャンとしての実力】リッチー・ブラックモアは彼のリズムキープ力を非常に高く評価している。アルバム「Stranger in Us All」でのプレイは、サウンド、ビート、フィルイン全て素晴らしく、特にミディアムテンポの楽曲で心地よくスイングしている。

【脱退理由】サッカー中での怪我で再結成レインボーのツアーに参加出来なかったため、1995年9月にブルー・オイスター・カルトに加入したが、1996年に脱退し、1997年にはブラックモアズ・ナイトでリッチーと改めてツアーを行い、日本公演も実現した。

【脱退後】その他にもジョー・ウォルシュブルース・スプリングスティーンザック・ワイルド、スティーブ・モーズ、スタンリー・ジョーダンとのレコーディングやライブを行っている。

現在、アル・ピトレリ、ポール・オニール、ジョン・オリヴィア、ロバート・キンケルの4人が核となるプログレ・メタルバンド、トランス・シベリアン・オーケストラに参加している。


Trans-Siberian Orchestra - Christmas Canon Rock

2018年には演劇仕立てのロックショウであるウィザーズ・オブ・ウィンターにも参加している。

 


Wizards of Winter 12/21/18