ゲイリー・ドリスコール(1946年4月18日ー1987年6月8日)
【加入前のキャリア】1965年にロニー・ディオ&ザ・プロフェッツからキャリアをスタートしており、ロニーとは古くからの音楽仲間だった。その後エルフに移行しそのままレインボーに加入することとなる。
【ミュージシャンとしての実力】アメリカ的ロックンロール・ドラマーでタムの重いチューニングはジョン・ボーナムを彷彿とさせる。(実際に仲が良かったらしい)
跳ねたリズムに真骨頂があり、アルバム「Ritchie Blackmore’s Rainbow」ではクレイグ・グルーバーとのコンビで随所に躍動感溢れるグルーヴを感じるプレイを聴かせてくれる。
【脱退理由】リッチー・ブラックモアはプレイも人間性も高く評価していたらしい。クビにすることに迷いがあったようで、ロニー・ディオも反対したようだが、ライブのリハーサルがうまく行かなかったことで仕方なく解雇。
【脱退後】いくつかのバンドでプレイした後、クレイグ・グルーバーらとバイブル・ブラックを結成したが、成功を手にすることはできなかった、その後はセッションに参加し日銭を稼ぐ毎日を過ごしていたが1987年に薬物取引に巻き込まれ他殺された。
コージー・パウエル(1947年12月29日ー1998年4月5日)
【加入前のキャリア】12歳からドラムを始め、その後ポップバンド、ザ・ソーセラーズに加入しドイツのライブハウスをまわった。イギリスに戻ってからはビッグ・バーサやベドラム、数多くのセッションをこなし、1971年に第2期ジェフ・ベック・グループに参加。1973年にはベドラムを再結成、1974年には「Dance with The Devil」がチャート3位のヒットとなった。
COZY POWELL - DANCE WITH THE DEVIL
コージーのレインボーにおけるオーディションの逸話は複数の人が語っている。シャッフルを20分くらい叩いて即採用決定!となったらしいが、元々輝かしいキャリアを誇るコージーだけに、別格扱いである程度採用は決まっていたのかもしれない。
【ミュージシャンとしての実力】ツーバスを駆使したパワフルかつ派手なプレイが信条。歌心のあるプレイを得意としており、静と動のコントラストの付け方が抜群である。歯切れの良いサウンドによるフィルインの数々は、すぐにコージー印とわかるほどキャラが確立している。
チャイコフスキー「序曲1812」をバックに叩くド派手なドラムソロはコージーの代名詞である。
【脱退理由】レインボーを自ら辞めた数少ない男の一人である。そこには決定的な原因があったわけではなく、少しずつ溜まったフラストレーションが爆発したものと考えられる。その後のキャリアを考えたら長続きしたとも言える。過度なイタズラ好き繋がりでリッチー・ブラックモアとの相性も良かったのであろう。
後任を見つける猶予を与えるため1年前に脱退を宣言していたというところにも漢気があふれている。実際に1980年のドニントンには後任のボブ・ロンディネリが挨拶に来ていたらしい。
【脱退後】1981年にマイケル・シェンカー・グループに加入。アルバム「M.S.G」をリリース。レインボーと同時期に日本公演も実現している。ゲイリー・バーデンの後釜にグラハム・ボネットを推薦しておきながら、自身は翌年に脱退し、1983年からはデヴィッド・カヴァーデルのラブコールに応え、ホワイトスネイクに加入し、1984年には日本公演を行なっている。(MSGやボンジョビと共演)
その後、エマーソン・レイク・アンド・パウエル (ELP)やブラック・サバスへ参加し、"渡り鳥"と揶揄される。
その後、ブライアン・メイ・バンドにて「Since You Been Gone」をプレイしたりピーター・グリーンやイングヴェイ・マルムスティーンとレコーディングを行なっている。
そんな中の1998年4月5日、イギリスにて高速道路の中央分離帯に衝突事故を起こし、逝去した。
無念としか言いようがない…