ディープ・パープルのニューアルバム
ディープ・パープルが21枚目となるニューアルバムを6月12日に発表する模様です。
ディープ・パープル、6月にニュー・アルバムをリリース? | BARKS
タイトルは「WHOOSH!」
New album 'Whoosh!' out JUNE 12, 2020 #whoosh #deeppurple2020 #deeppurple pic.twitter.com/yfbe5CLQu9
— Deep Purple (@_DeepPurple) 2020年2月27日
なんだかんだで良いアルバムを出し続けているので今回も期待。
1983年カーディフ音源がサブスクリプションで公開
以前取り上げたジョー期レインボーのライブ盤「Taffs And Toffs」が早くもamazon music unlimitedで公開されています。
カーディフ公演のレビューはこちら↓
https://cozymoore.hatenadiary.org/entry/2019/07/16/204139
https://music.amazon.co.jp/albums/B084JRR6QJ?ref=dm_sh_W2rIpMRvSgXk1i0dxKlHZ1Ke0
https://music.amazon.co.jp/albums/B084KHKNXK?ref=dm_sh_gWaVWz6xrW4DiafmSgXkN9tNf
今なら30日無料で聴くことができます。
バービーボーイズのニューアルバム公開
バービーボーイズのニューアルバムが公開されました。
https://21stcentury-barbeeboys.com/PlanBee/MasterBee.html
時は経っても全く変わらぬバービーボーイズの世界が満喫できます。30年前と全く遜色ない出来なので嬉しい限りです。
サブサクリプションではすぐに全て聴ける、良い時代となりました。もちろんamazon music unlimitedでも聴くことができます。
Deep Purple 1993 シュトゥットガルト公演を改めて聴いて
Deep Purple 1993 シュトゥットガルト公演を改めて聴き直しました。
この日の演奏は本当に素晴らしい出来です。特にリッチー・ブラックモアは絶好調で、サウンド、リズム、メロディセンス、構成、バッキングの勤勉さ、と全てにおいて完璧に近いプレイをしています。(Child In Timeのソロは除く)
他のメンバーもリッチー・ブラックモアに感化されたのか最高のプレイによるアンサンブルが出来上がっています。
この時期はギランvsブラックモアが激化しており、演奏もひどいとのイメージが(一部メディアの影響で)一般的でしたが、実際には円熟期となったメンバーによる安定したステージが楽しめた頃だったと思います。
ただ唯一、イアン・ギランの歌を除いて。
演奏が良いため、彼の歌のひどさが一際目立ちます。声は出ておらず、ピッチも不安定、リズムも悪い、全く良いところなしのパフォーマンスにはガッカリです。
当時のHR/HM専門誌ではリッチー・ブラックモア・バッシングが激しく、イアン・ギランの批判はあまりなかった気がしますが、この歌声を聴くに、リッチーの言い分が正しかったと言わざるを得ません。
ブラックモアズ・ワークスに関する考察
昨日に続いてブラックモアズ・ワークスについて触れて行きたいと思います。
今回のブラックモアズ・ワークスでは、いわゆるB!誌系の評論家によって作られてきた評価、傑作・駄作といった決めつけが大きく修正されたように思います。これには「リッチー・ブラックモア伝 ブラック・ナイト」の発売が影響しているように思います。
特に1993年のシュトゥットガルト公演の評価が爆上げしているのは「ブラック・ナイト」のおかげでしょう。
シュトゥットガルト公演は元々ライブアルバム「Come Hell Or High Water」としてリリース(一部はバーミンガム公演)されており、このアルバム発売時から最近まで不当に低い評価をされてきたと記憶しています。(DVDと混同したのか、ブラックモアズ・ワークスでは「Live In Europe 1993」を「Made In Japan」に匹敵する出来栄えとベタ褒めし、「Come Hell Or High Water」を貶すという不思議な事態が起こっている)
「ブラック・ナイト」ではシュトゥットガルト公演を正当に評価しており、「Anya」におけるリッチー・ブラックモアのギターソロが終わった後、他のメンバーが立って拍手を送るほど素晴らしかった。との記述があります。
実際にシュトゥットガルト公演は素晴らしい演奏です。今回、YouTubeで改めて映像を見返したところ「Anya 」のソロは神がかり的です。演奏終了後、リッチーは観客とのハイタッチし、イアン・ペイスとジョン・ロードが拍手する姿を確認できます。
Deep Purple - Anya - Stuttgart 1993 (pro sound mix)
リユニオン・パープルにおいて最高の演奏の一つです。正直、第二期の「Made In Japan」と比較するのはどうかな?とは思いますがね。
ブラックモアズ・ワークスが届いた!
リッチー・ブラックモアの関わった仕事についてまとめた書籍が2020年1月30日にシンコーミュージックから発売されました。
目次です
Part-1の初期のセッション音源、Part-8のゲスト音源についてのレビューは貴重。
Part-2からのアルバムレビューには明確な間違いがあったり、主観が強すぎるのが残念。
※「Finyl Vinyl」の「Difficult To Cure」はスライド部分だけではなくギターソロも後から差し替えられている、等
Part-11の日本公演の全履歴は記憶の補完に役立ちます。
最も読み応えがあったのが、歴代使用機材の詳解と最後の「パートナーが左右する(?)ブラックモアの仕事」というコラム。前者はアルバム毎にかなり詳しく解説されておりますし、後者はなるほどと言わざるを得ない内容。
私のような人には「買い」のアイテムでしょう。
価格:3,080円 |
1984年のヘヴィローテーション
個人的なことを言えば、免許取り立てのころのヘヴィローテーションだったのは、カルチャー・クラブのカラー・バイ・ナンバーズ、サザンオールスターズ の人気者で行こう、ニューオーダーのロウ・ライフ、マドンナのライク・ア・バージン、マイケル・ジャクソンのスリラーなんかを聴いてました。
ディープ・パープルのパーフェクト・ストレンジャーズはそんなに聴いてなかったような気がします。
ギタリスト"リッチー・ブラックモア"のルーツを探る その3(追記あり)
5.ロックへのクラシックの引用
15歳の時にネロ&グラディエイターズのライブを見に行った時、グリーグの「山の魔王の宮殿にて」をロックアレンジで演奏していたのに感銘を受けたことが原体験となり、その後のリッチー・ブラックモアのステージでは「山の魔王の宮殿にて」を含め、必ずクラシックの引用がされるようになった。ジョン・ロードやイングヴェイ・マルムスティーンらのオーケストラとの共演のように真剣にクラシックに取り組んだ本格的ではなく、あくまでもロック的アプローチの中でのクラシック好きであることがポイント。そのものズバリの「Hall Of Mountain King」や「Difficult To Cure」等、アルバムの楽曲になったものはその好例である。
5.ステージアクション
当時速弾きでは一目置かれていたリッチー・ブラックモアだが、元々シャイな性格でステージでも大人しくギターを弾いていた。それを変えるきっかけになったのはスクリーミング・ロード・サッチ&サヴェージズへ加入したことである。当時のイギリスで最もビジュアルにこだわっていたバンドでは、リッチーも大人しくしていることは許されず、ステージを右に左に走り回らなければならなかった。ロード・サッチはボーカルの実力はともかく、最高のショーマンであり音楽の知識も豊富だった。リッチーも「(サッチには)ショーマンシップについてたっぷりと教えてもらった。」と語っている。
ただ、当時を知る者の証言ではリッチーのステージアクションはモノマネではない彼独自のものであったらしい。ロード・サッチはリッチー・ブラックモアのリミッターを外し、本来彼が持っているものを表現できるように手助けしたと考えるのが正しいのかもしれない。
6.アーミング
リッチー・ブラックモアのアーミングはスタジオ盤「Black Night」でのプレイが代表作。これは最高に素晴らしいものである。
そのプレイは、ジミ・ヘンドリックスの影響を強く感じるもので、ラフ&トリッキーな使い方に徹している。特にステージにおけるロング・ソロパートでのプレイはそっくりだと感じる。
リッチーのストラトキャスターにはチューニング・ロック・システムは付いていないにもかかわらず、アーム・アップが可能なようにフローティングされていた。普通のストラトキャスターでこれをやると、かなりの確率でチューニングが狂うはずだが流石はプロの仕事、ほとんど狂うことのない調整となっている。(ジミ・ヘンドリックスの場合だと激しいアーミングを行った後は激しくチューニングが狂うのだが、それ自体がストーリー性を持ったりするのが音楽の面白いところ)
近年ではアーミングを封印しており、最初からアーム自体を取り付けていないのは寂しい限り。
ギタリスト"リッチー・ブラックモア"のルーツを探る その2
3.速弾きへの傾倒
若かりし頃のリッチー・ブラックモアは誰よりも速く弾くことに腐心し、猛烈な練習を日々行っていた。この頃はなんでも速弾きしてしまい、スローやグルーヴという概念は持ってなかったらしい。
後のイングヴェイ・マルムスティーン登場時もそれまでにない速弾きでセンセーショナルだったが、リッチー・ブラックモアも全く同じような道を進んでいたのである。
ディープ・パープル初期までのリッチー・ブラックモアのプレイはカントリー&ウエスタンからの強い影響を受けており、当時ギブソンES 335を使用していたのも速弾きをするためだった。徐々にプルージーなプレイに興味を抱きだし、フェンダーストラトキャスターに持ち替えた事で大きなプレイの転換を行ったのである。具体的には、メジャー・スケールからマイナー・スケールへの移行、あまり得意でなかったビブラートを導入したが、習得まで2〜3年かかったと語っている。
4.ブルージーではないプレイスタイル
リッチー・ブラックモアがブルージーなプレイへ興味を持ったのは、ハードロックという音楽がブルースから発展したものであるため。どちらかというとアート・ロックを志向していた第1期ディープ・パープルの方向性を、一気にハードロックに転換させたことが起因となっている。
しかし、元々のバックボーンにブルースがなかったことが幸いし、リッチー・ブラックモアは新しいハードロック・ギターを作り上げたと言える。あまりブルージーではなく、メカニカルかつクラシカルなギタープレイは個性となり、ビッグ・ジム・サリヴァンが助言した通りの唯一無二の存在となることができたのである。
ギタリスト"リッチー・ブラックモア"のルーツを探る その1
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願い致します
ギタリスト"リッチー・ブラックモア"のルーツに関しては結構書籍でも取り上げられているので、今更感がありますが、レインボー研究所としては避けることのできないテーマと考え、自分なりの考えを織りまぜながら語って行きたいと思います。
1.クラシックギター
リッチー・ブラックモアがギターに初めて触れたのは11歳の時。幸運にも最初からクラシックギターのレッスンを1年間受ける事ができ、この事が彼のキャリアに大きな影響を与えたと考えられる。
・小指を駆使したフレーズの多用
・楽曲やライブパフォーマンスでのクラシックの導入
2.ビッグ・ジム・サリヴァンへの師事
当時のイギリスにおいてトップギタリストだったビッグ・ジム・サリヴァンが近所に住んでおり顔見知りだった事から、運良くレッスンを受けることができた。この時、サリヴァンは「人のコピーをするな、自分の個性を大事にしろ」とアドバイスしており、非常に個性的なリッチー・ブラックモアのスタイルを作ることに繋がったものと考えられる。
・最初に習ったのはレインボーのステージでお馴染みの、バッハのガボットだった
・この時初めて親指を使う運指を知った(クラシックでは使わない)
実際のサリヴァンのプレイはこちら
BIG JIM SULLIVAN, He gave guitar lessons to a teenage Ritchie Blackmore!