nijiken

ロックバンドRainbowを研究するブログとしてスタートしましたが、幅広い話題を取り上げたいと考え、ブログタイトルを変更しました。

虹に関わった人達 ベーシスト編

クレイグ・グルーバー(1951年6月15日-2015年5月5日)

【加入前のキャリア】ベースを兼任していたロニー・ジェイムス・ディオがボーカルに専念することとなったエルフに1973年加入。そのまま自動的にリッチー・ブラックモアズ・レインボーの一員となった。

【ミュージシャンとしての実力】当時はあまり振り返られることもなかったクレイグ・グルーバーだが、今になってテクニックが再評価されている。「Snake Charmer」「Black Sheep Of The Family」等で聴かせるハネたリズムが得意。ゲイリー・ドリスコールとのコンビで素晴らしいグルーヴを作り出している。

【脱退理由】最初はエルフのメンバーを気に入っていたリッチー・ブラックモアも、ライブのリハーサルを開始すると同時に徐々に不満が生じて来たらしく、立て続けにクビとなっている。クレイグについては性格的な問題を理由としていた模様。

それでも1977年ジミー・ベイン脱退後にロニー・ジェイムス・ディオの提案で一旦復帰したが1ヶ月で再びクビに。

【脱退後】1984年にゲイリー・ムーア・バンドに加入。日本公演にも参加した。


GARY MOORE - Empty Room - 1984 LIVE

脱退後ゲイリー・ドリスコールとブラック・バイブルというバンドを結成。2015年死去。

 

ジミー・ベイン(1947年12月19日-2016年1月23日)

【加入前のキャリア】リッチー・ブラックモアの旧友リッキー・マンロがドラムのバンド、ハーロットで中心的存在だった。ベースのみならずボーカルもこなし、ソングライターでもあったらしい。リッチーはジミーをロンドンのマーキーで見染め、引き抜きを敢行した。

【ミュージシャンとしての実力】そのプレイは堅実そのもの。エゴを抑え楽曲を支える姿を見て、トニー・カレイは「バンドの縁の下の力持ちはジミー・ベインだ」と語っている。特にリッチー・ブラックモアのロングソロと相性が良いのは断然ジミー・ベインである、と私も思う。

【脱退の理由】ドイツ公演のステージ上にてチューニングの件でリッチーと口論をしたことを発端に、その日の夜リッチーの彼女と関係を持ってしまったことが決定的理由となった模様。

【脱退後】シンリジィのギタリストだったブライアン・ロバートソンとワイルドホーシズを結成し、ベース兼ボーカルとして活躍。

1982年ディオに加入し長く貢献、ロニー死去後、2013年からディオの旧メンバーで結成したラスト・イン・ラインで活動を開始したがライブが行われる船にて死去。

 

ボブ・デイズリー(1950年2月13日-)

【加入前のキャリア】オーストラリア出身。オーストラリアのバンド、カーヴァス・ジュートでキャリアスタート。ロンドンに移住後ウイドウメイカーというHRバンドに所属していた時にレインボーのオーディションの誘いがあり、めでたく合格となった。バンドを捨てることを悩んだが、ウイドウメイカーはメンバー間での争いが絶えなかったことが最終的に決め手となった。

リッチーはプレイは勿論だが性格を最も重視することを知っていたボブ・デイズリーは、最初にリッチーと相性が合うかを確かめてからオーディションに臨んだらしい。ボブはリッチーが求めるベーシストはピック弾きが基本であることをこの時に確認している。

【ミュージシャンとしての実力】ファンからは文句なしに歴代最高ベーシストと認定されている。実際にリッチー・ブラックモアコージー・パウエルは、レインボーで一番上手いベーシストだったと語っている。それはライブではベースソロの披露を許されていたことでもわかる。

ボブ・デイズリー在籍時のライブパフォーマンスは間違いなく、最もリズム隊がしっかりとバンドを支えている時期であり、コージー・パウエルとのコンビで形成されるグルーブ感は強力である。

ちなみにアルバム「Long Live Rock ’N’ Roll」はすでにリッチー・ブラックモアが4曲でベースをレコーディングしていたため、ベースがない「Rainbow Eyes」を除いた残りの3曲のみのプレイとなっている模様。

【脱退の理由】数多あるレインボー脱退劇のなかでも、最も難解なのがボブ・デイズリーの脱退理由である。ボブは「リッチーの作曲パートナーであるロニーが脱退したので、新たなパートナーとしてロジャー・グローヴァーを入れたかったのでは?」と推測するが、時系列で追うとボブ・デイズリーの脱退はロニー脱退より前の段階で起こっている。ロニー在籍時にクライヴ・チェアマンのオーディションを行なっていたという証言があるので、その時点ではロジャー・グローヴァーにベースを弾いてもらうという案はなかったと考えられる。背後でどういった駆け引きがあったのかは本人達にしかわからないが、ロニーがマネージャーからクビを伝えられた時に、言い訳として「レインボーは解散した」と伝えられたと語っているので、ついでに巻き添えを食ったのかもしれない。

【脱退後】オジー・オズボーン、ユーライアヒープ、ゲイリー・ムーアマザーズ・アーミー等の有名バンドで活躍。どのバンドでもソングライティングを含めて重要な働きをしている。後にオジー・オズボーンとは著作権の件で裁判沙汰に発展した。

 

ロジャー・グローヴァー(1945年11月30日-)

【加入前のキャリア】1965年にエピソード・シックスに加入。その後友人のイアン・ギランをボーカルに加入させ活動。この頃から2人でのソングライティングを確立させる。1969年にイアン・ギランがディープ・パープルに誘われた際、ギランの推薦でジャムセッションの結果加入が決定。ちなみにリッチーはロジャーの加入に反対していた。第2期ディープ・パープルにてベーシストとしてのみならず曲作りにも貢献した。後にイアン・ギランが脱退する際に、ギランのついでにクビになった。これにはロジャーのベースプレイを気に入ってなかったリッチーの意向が強く働いた。

その後ディープ・パープルが設立したレコード会社パープル・レコーズにてプロデューサーとしてのキャリアを開始する。この辺りはさすがの大人な対応が光る。その中にロニー・ジェイムス・ディオがボーカルを務めるエルフもあったことがリッチー・ブラックモアとディープ・パープルの歴史を変えた。

1978年、レインボーはアメリカでの成功を目指し、コマーシャルな楽曲を作るためにプロデューサーとしてロジャー・グローヴァーを招聘。これはパープルをクビにしたことに対する贖罪の意味があったとされる。(もしかしたらイアン・ギランを加入させるための駆け引きに使おうと思ったのかもしれない…)

その後、コージー・パウエルとドン・エイリーの要望もあり、ベーシストとしても活動することとなる。

【ミュージシャンとしての実力】リッチーからの評価は高くないが、粒の揃った安定したプレイやポップセンスの高さを感じさせるベースラインは一級品である。ライブでも一糸乱れぬプレイはバンドを支える存在だった。

【脱退理由】レインボー解散と同時に再結成ディープ・パープルに参加した。

【脱退後】その後今に至るまでディープ・パープルの一員である。

ディープ・パープルのリマスターアルバムをリリースする際、リッチー・ブラックモアのギターソロのアウトテイクを勝手に収録したことが契機となり、お互い誹謗し合う関係となる。

基本的にリッチーは音楽的才能で人を評価するところがあるため、ロジャーは何も持っていない、と格下扱いしていた。喧嘩しながらも認め合える関係のイアン・ギランとは異なる部分である。

 

グレッグ・スミス(1963年5月21日−)

【加入前のキャリア】アメリカ、ニューヨークにて活動開始。NYメタルのプラズマティックのボーカル、ウエンディ・O・ウィリアムスのバンドに加入した後、アリス・クーパー・バンドやレインボー解散後にデイヴ・ローゼンタル、チャック・バーギらで結成されたRed Dawnにて活動していた。

レインボーには当初ロブ・デマルティーノというベーシストがいたが、リッチーに嫌われたため、急遽グレッグ・スミスが呼ばれた模様。

【ミュージシャンとしての実力】リッチー・ブラックモアの好み通りピック弾きで粒が揃った堅実なプレイを得意としている。特にレインボーにおいては遊びがないプレイに徹している。

ボーカリストとしてもかなりの実力者でグレン・フライばりのハイトーンで「Burn」を歌いこなす。

再結成レインボーはその位置付けとして「リッチー・ブラックモア・ストーリー」であったことから、第3期ディープ・パープルもこなせるメンバーを探していたのかもしれない。

 

その他の人達

マーク・クラーク

ジミー・ベイン脱退後に一時在籍。クラブでのギグを何度かこなしたらしい。

レインボー加入前はプログレバンド、コロシアムに在籍しており、ベーシストとしての実力は充分だったが、アルバム「Long Live Rock 'N' Roll」レコーディング時のチューニングが狂っていたことからリッチーと口論に発展し、クビになった。

 

クライヴ・チェアマン

ボブ・デイズリー脱退後に、ジェフ・ベック・グループ時代にコンビを組んでいたことのあるコージー・パウエルの推薦で一時在籍。腕前は問題なかったようだが、クライヴはモータウンをバックグラウンドとするベーシストであり、音楽性が違いすぎたため2週間で脱退した。

 

ジャック・グリーン

過去にプリティ・シングスに在籍。リッチー・ブラックモア人間性に惚れ、無理やり加入させようとしたが、コージー・パウエルとドン・エイリーが反対したため、その計画は頓挫した。その罪滅ぼしか1980年のジャック・グリーンのソロ「I Call No Answer」でリッチー・ブラックモアはギターを弾いている。


I Call No Answer