nijiken

ロックバンドRainbowを研究するブログとしてスタートしましたが、幅広い話題を取り上げたいと考え、ブログタイトルを変更しました。

ジョン・ロードとリッチー・ブラックモア

Deep Purpleは複雑な歴史を持ったバンドです。メンバーチェンジが多かったり、一度解散して再結成したり、出戻りが生じたり、グダグタな印象を受けるのも致し方ありません。メンバー同士の諍いが多いのも特徴で、リッチー・ブラックモアとイアン・ギランの確執は有名です。

そんな中、ジョン・ロードは比較的温厚な性格であまりエゴが強くない人です。初期Deep Purpleを引っ張っていたのはジョン・ロードであることを疑う人はいません。それなのにHR路線に舵を切って大成功してから、文句を言わずリッチーに従っています。元々自己主張があまり強くなく、音楽的な相違を気にする人ではなかったのかもしれません。

リッチーはジョンが曲作りに関してアイデアを出さないのに、作曲クレジットを要求してくることを批判していました。確かにジョンは元となるアイデアを持ち込むことはなかったようですが、後にイアン・ペイスは「リッチーやロジャー・グローヴァーがすごく良いリフを持ってくると、ジョンは「このコード進行を変えたら、より良いものになる」と提案していた。「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の構成や中間部のアレンジにも。彼は多大な貢献をしていたし、「ラット・バット・ブルー」のキーボード・パートは、クラシカルな影響があった。彼は多くのリフは書かなかったけど、それにアイディアを加えて、曲をより効果的にする術に長けていたんだ。」と語っています。
どこまでが作曲者となるかは難しい問題ではありますが、個人的には認めてあげても良いのではないかと思います。

晩年、ジョン・ロードDeep Purpleを引退します。すでに脱退していリッチーはジョン・ロードを引退させた他のメンバーへの怒りを露わにしていました。
ジミー・ペイジなきLed Zeppelinは考えられませんが、Deep Purpleは核となるリッチーとジョンが居なくなっても未だに存続しています。一度目のリッチー脱退時にトミー・ボーリンを加入させて存続させた第4期Deep Purpleという異常事態が、結果このような奇妙な状況を作り出したと考えれば、全ての責任はジョン・ロードにあると言えないこともありません。