リッチー・ブラックモア"手抜き"の真相?
リッチー・ブラックモアは日本公演では"手抜き"をしているんじゃないか?1982年くらいからファンの間で囁かれだした疑惑です。
当時の私も、それまでのリッチーの素晴らしいプレイと比較すると1982年辺りから急に雑になったと感じていましたし、その後の再結成Deep Purpleでのプレイもかなりガッカリすることが多かったため、"手抜き疑惑"は事実であったとつい最近までそう確信しておりました。
ところがつい先日久し振りに「Live Between The Eyes」をフルに見返して、ちょっと事実認識を改めた方が良いのかもなぁ、と思うようになりました。
1981年までのSetlistは一曲ずつがかなり長くプレイされており、ギターソロも長尺を弾きまくれるスキマが充分にありました。ロングソロにを最も得意とするリッチー・ブラックモアにとって真価を発揮できる構成だった訳です。
ところが1982年からはSetlistは曲数が増加し、演奏がかなりコンパクトとなっています。楽曲重視の姿勢でギターソロは8小節から16小節程度で収めるようになりました。
これはアメリカで成功するための秘策だった可能性が高いです。長いインプロヴァイズはアメリカでは受けないことを考慮したものと考えられます。リッチーは自分の持ち味を捨ててでもアメリカで成功したかったのでしょうか?
その分、ステージアクション優先でプレイしたことでプレイが雑になったのではないかと想像します。(まさにヤニック・ガース的状態)
更に本来、短い尺のソロはあらかじめ作曲されたメロディを弾くことが多いものですが、リッチーは意地でもインプロヴァイズしますので、上手くまとめるのは難しかったのかもしれません。ただし1982年以降もブートで聴くと、良いプレイの時も少なからずあります。
といったことから、私の中では決してリッチー・ブラックモアは"手抜き"をしていた訳ではなく、プレイの優先度が変わっただけだった、という認識に変わりました…